納骨時期について

一般には、亡くなってから49日間は、ご自宅にてお祀りし、その後に、納骨します。

理由は、亡くなってから7日ごとに、生前に行ってきたことの裁きを閻魔大王さまから受けて、49日目に、どこの世界に行くか決まるので、それ以降に納骨するしきたりがあります。

どこの世界とは、仏教でいうと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、仏の7つの世界です。

これ以外にどこにも行かないで迷っている世界というか魂があると、信じられています。

「お墓」について

本来、インドの仏教では墓は不必要であった。

インド人は古来、火葬(荼毘(だび))を採用しており、仏教は火葬を当たり前のこととして採用した。

火葬というものは、ほんとうは、いっさいの遺体をなくしてしまうのだ。  
             
インド人は焼け残った骨をすべてガンジス河に流した。

だから、墓をつくる必要がないのである。

ただし、例外は釈尊(しゃくそん)である。釈尊のように、悟りを開いて仏陀(ぶっだ)となった人の墓は、つくってよいのである。凡夫の墓はつくってはいけないとされている。

※仏陀の「仏」は、昔は「佛」の字を使っていた。このつくりの「弗」はじつは「あらず」という意味であり「佛」とは「人にあらず」ということを表していた。サンスクリット語の“ブッタ”の音を「仏陀」と漢字に写しとったもので本来は「目覚める」という意味である。

お釈迦さま(釈迦牟(しゃかむ)尼(に)世(せ)尊(そん)=略して釈尊という、紀元前6~5世紀の人)は35歳のときに、菩提樹のもとで悟りを開かれ、真理の世界に目覚められた。その時、お釈迦さまは人間を卒業されたのである。仏教は本来、教理的には祖先崇拝を認めない立場であった。

というのも、仏教は六道輪廻からの解脱、離脱を理想としたので、いわば永遠に存在する霊魂の存在を否定する(というより問題としない)立場をとっていたからである。したがって、それを対象とする儀礼も存在しなかった。

このように「仏(ほとけ)」とは本来「真理に目覚めた人」のことをいったので、死んだ人のことをいったのではない。仏教とは「仏の教え」ということになる。

わが国での火葬は、文武天皇の4年(700年)、道(どう)昭(しょう)という僧侶が遺言によって火葬されたのが始まりである。宮廷では大宝3年(703年)持統太上天皇の葬儀が火葬で行われている。火葬が一般的になったのは、7世紀後半から8世紀で各地に一定の火葬場を設け、これを「三昧所(さんまいじょ)」といった。

さて、日本では、伝統的な葬法は土葬であった。

土葬の場合は、死体に対する恐怖の感情が抜きがたくある。近年になって日本では火葬が普及した。しかし、日本はインドとちがって遺骨を残す火葬である。

本当は遺骨を残さずすべてを焼き尽くしてしまえばいいのであるが、土葬の習慣のため、遺骨を残して墓に埋めないと日本人は落ち着かないのである。

それでわざわざ遺骨を残して墓に埋葬する「しきたり」になった。

インドでは、死者は西方(さいほう)十万(じゅうまん)億土(おくど)のかなたに存在する浄土におもむくと考えられた。

日本人の伝統的な死後の世界観では、死者が死後に行く世界は「黄泉(よみ)の国」とよばれ地下にあるとされた。

ほかに「常世(とこよ)の国」とよばれる海上他界や山中他界もあるが、日本人にもっとも強烈な印象を与えているのは、地中他界である。そこで遺骨を墓の下に埋葬することが、死者を葬るにはいちばん適した方法のように思われている。

こうして縄文的なカミの信仰、あるいは万葉人的な霊魂信仰が新来の浄土信仰(仏教)と融合して死者=魂(たま)=仏(ほとけ)という観念連合が成立し、死者(あるいは死者霊)をそのままホトケと称する民俗仏教が人々の心をとらえるようになった。

もう一つ、この死者=ホトケ信仰の形成にとって重要なはたらきをしたのが、遺骨信仰である。

十一、二世紀になると、高野山に遺骨(遺髪)を納めたり、氏寺に遺骨を納めたりすることが貴族社会ではやりはじめ、しだいに庶民に遺骨を寺に納める風習が定着していったとみられる。それまでは、遺骨は死体の一部として死穢(しえ)の発生源の一つと考え、死体とともに忌避するのが普通であった。すなわち、鳥(とり)辺(べ)野(の)、蓮台野といった葬地に土葬あるいは風葬し、それ以後葬地にいくことはまれで、参拝や追善供養は詣(まい)り墓(ばか)という石塔などを近くに立てた地で行っていた。

すなわち、遺骨もその一部である死体にたいしては、恐怖や穢れ感を強くいだき、忌避しようとしていた。

こうした遺骨にたいする対応の変化の背景には、浄土教の流行と来世信仰の広まりがあると考えられている。また、高野(こうや)聖(ひじり)によって浄土である高野山への納骨を勧めることがおこなわれ、高野山へ納骨がなされるようになったことも一背景として考えられる。

遺骨を霊魂の依り代として考え、穢れた埋葬地から寺や浄土とされた山岳霊場へ運ばれたのではないか。

【墓 地】;土地ではなく使用権を買うもの墓はどこにでも建てていいというものではない。

たとえ、自分の家の庭であってもまず許可されない。

「墓地・埋葬等に関する法律」にもとづいて公に墓を建てるための場所と認められている一定の区域を「墓地」という。

最近は「墓園」「霊園」という言い方もよく使われいる。

管理者の違いによって「境内墓地」「公営墓地」「民営墓地」の3つのタイプに大別される。

いずれのケースでも誤解してはならないのは、あくまで「永代使用権」を得るということで、その区画の土地を買ったのではないということである。

【お 墓】;納骨棺と石碑が基本要素

もとは、埋葬した死体を見えなくするための土盛り(塚)を意味することばである。現在では、一般に遺骨を埋葬する「納骨棺」(納骨室;カロート)とその上に立つ「石碑」(石塔)のことをいう。

墓に石を使う風習は古代縄文時代からあった。死者の霊を封じ込めて生者に災いを及ぼさないように死体に石を抱かせたり、埋葬した上に石を置いたのである。 

のちに仏教が伝わると、仏塔(ストゥーパ)信仰の影響を受けて納骨棺の上に仏塔を模した石碑を建てるようになった。平安時代に始まり現在でも使う「五輪塔型」の墓がそれである。

それに対して最もポピュラーな「角(かく)石塔(せきとう)型」の石碑は、儒教で神(先祖の霊)の依り代とされた「位牌」を模したものであろうといわれている。

「五輪塔型」・・・台石の上に方形、円形、三角形、半月形、団形の五つの石塔を下から積み上げたものである。万物の構成要素という地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)の五つの要素(五大(ごだい)という)を象徴している。各々に佉(きゃ)・訶(か)・羅(ら)・縛(ば)・阿(あ)の梵字を刻み阿の字の下に戒名が記される。
また、宗派によっては上から南・無・阿弥・陀・仏(浄土系)や妙・法・蓮・華・経(日蓮系)、空・風・火・水・地(禅系)と五輪に刻まれる。

【卒塔婆(そとうば)】;墓の後ろに立てる供養の板塔

浄土真宗以外では「卒塔婆」を立てて埋葬時や年忌法要、お盆、お彼岸などに供養するという習が一般に行われている。

サンスクリット語の“ストゥーパ”を音訳したもので、もともとはインドで土饅頭型に盛り上げた墓のことであった。

それがしだいに「仏舎利」(釈尊の遺骨)をまつる「塔」を意味するようになった。

釈尊の遺骨は最初は八等分され、インド各地の八基の仏塔に安置された。

その後、紀元前3世紀のなかごろ、マウリア王朝のアショーカ王が仏塔から舎利を取り出し、8万4千に分骨して新たに仏塔をつくったという。

在家の仏教信者は、この仏塔を釈尊自身として礼拝するようになり、そこから大乗仏教が興起したともいわれている。したがってもともと大乗仏教では「塔」に対する信仰が非常に強い。

一般には「卒塔婆」は「塔婆」と略してよばれ、故人の追善のために立てる長い木の板をさして使われいる。これは「板塔婆」といわれるもので本来は本物の塔を建てて仏を供養するところを、かんたんな木の板を塔にみたてて、その代わりとするものだという。

板塔婆をよく見ると上部に刻み目が入っている。これは五輪塔になぞらえものである。

【合(ごう) 祀(し)】;複数の遺骨をいっしょに納める。

一つの墓に複数の故人をいっしょにまつることを「合祀」、正確には「一基合祀」という。昔は墓石というのは一基一霊が原則で死者が出るたびにつくるものだった。最近では、家族の遺骨をいっしょに納める一基合祀がふつうになっている。

合祀墓の墓石の正面に彫る文字は「〇〇家之墓」「〇〇家先祖代々之墓」「〇〇家先祖累代之墓」といったものが多い。

また、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」といった名号や題目などを彫ったり、「倶会一処(くえいっしょ)」というような経典の句を彫ることもある。

「倶会一処」というのは「阿弥陀経」にあることばで、死後はみな阿弥陀仏の浄土で出会うという意味である。

【比翼(ひよく)塚(づか)】;夫婦いっしょに納まる墓

合祀の墓の一つに「比翼塚」といわれる墓がある。「夫婦墓」ともいわれ夫婦で一基の墓に納まるものである。

夫婦の一方が死亡したとき、配偶者もいっしょに戒名(法名)を刻んでおき、その部分を朱で赤く塗っておく。そして本人が死亡したとき、朱色を落とし元に戻すか、黒色に塗りかえることも行われている。

【逆修(ぎゃくしゅう)墓(ぼ)】;生前に建てる墓

生前中に墓を建てることは古くから行われている。これお「逆修墓」という。
別に「寿(じゅ)塚(ちょう)」「寿(じゅ)陵(りょう)」「寿墓」ともよばれたいへん喜ばしいこととされている。

「供養」について

日本の宗教は、神仏混淆だと言われている。神道・仏教・儒教・道教もあり、近年ではキリスト教も日本人の精神文化に大きな影響を与えています。

そんな日本の仏教における「供養」について考えてみます。

「供養」というのは、「供給資(くきゅうし)養(よう)」の略。

仏・法・僧の三宝(さんぽう)で亡き人に供物を捧げること。もしくは、法要と同じ意味でも使用されます。

三宝とは、仏・・・悟りを開き人格を完成した人。

法・・・「仏」によって説かれた真理の教え。

僧・・・その教えを信受して修行する出家者の集まり。

「僧」は、サンスクリット語の“サンガ”を「僧伽(そうぎゃ)」を音訳したものの省略形でです。

“サンガとは本来は出家修行者の集まりであって、集団をよんだことばです。

{追善(ついぜん)供養(くよう)}~故人の冥福を祈る儀式

「追善」とは「追福(ついふく)修(しゅう)善(ぜん)」の略。亡き人の冥界での苦を除き福を増すために、生きているものが追って善いことを修することです。

したがって「追善供養」とは一般に、亡き人のために僧を招いて法事を営み食物を捧げることをいいます。

釈尊に帰依し仏教を篤く保護したインドのコーサラ国王が亡き父のためにお斎(とき)を設け釈尊や弟子を招いて供養したのが始まりともいわれています。 

インドでは、死亡後四十九日まで七日ごとに行う中陰(ちゅういん)供養(くよう)だけでした。

経典によると、

この世に生をうけたときを「生(しょう)有(う)」、
この世に生きている間を「本有(ほんぬ)」といい、

死の瞬間を「死(し)有(う)」といいます。

そして次の生をうけるまでの期間が四十九日間あるとされ、この間の存在を「中陰(ちゅういん)」とか「中有(ちゅうう)」といいます。

この中陰の四十九日間は、死者が七日ごとに裁きを受けて行き先を決められる大切な期間です。

そこで遺族は一週間ごとに追善供養をして死者が少しでもよいところに生まれ変われるようにすることです。

それが「中陰供養」です。

亡くなった日から数えて七日ごとに初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七(むなのか)日、七七日(なななのか)と行い菩提寺の僧侶に来てもらい読経をしてもらいます。

※浄土真宗では阿弥陀如来の救いによって命終(みょうじゅう)と同時に浄土に往生するという教えです。

追善や追福の供養というよりも亡き人の遺徳をしのびつつ、さらには自分が生まれてきたことの意義を考え人生の真実に目覚めていく法縁として、より深く念仏の教えを味わうように心がけるべきでしょう。

{輪廻(りんね)転生(てんしょう)}~古代インドの死生観

輪廻の原語「サンサーラ」は「流れ」・「回りめぐること」を意味し悟りを得て解脱(束縛からの解放)の境地に達しなければ、死んでも生まれ変わって、生死を繰り返すことをいいます。

輪廻には六つの世界(六道(ろくどう))があります。

「天(神々の世界)」「人間(人の世界)」「修羅(阿修羅/争いの世界)」です。

「日本人と宗教」について

現在の日本人の宗教との関わり方について、今は大きな転換期だと思います。

そもそも日本人の場合、宗教が習慣上のものになっていて、信仰というものではなくなっているように感じています。

クリスマスやって、年末の除夜の鐘撞いて、それで神社に参る。海外のしっかりとした信仰を持っている方々からすると日本人の信仰とは?なんと節制ががないのかな?と思われてしまいそうです。

逆に言うとこれが、日本人の平均的な信仰というものではないでしょうか。

日本人の一般的なスタイルになっています。

それでも自分の家はお寺の檀家だし、お墓を持っているしということから、だいたい、仏教なんだろうとは思っていても、団塊の世代には多い、とくに田舎から出てきた人たちは、その仏教のうち、何宗、そして何派に属しているのか、知らないという人も珍しくありません。

それでも、宗教に全く興味のない人でも、お寺の本堂で座っていると、何とも言えない気分になるとか、あるいは教会で美しい讃美歌を聴くと、すごく静謐な気分になったりします。

その場の宗教性を感じる力があります。

無宗教を標榜しているからといって、宗教性が乏しいわけではなく、非常に感度の良いアンテナをもっているのだと思います。

中世の歌人西行に、「何事のおわしますをばしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」という、伊勢神宮を詠んだ歌がありますが、何という神様かもわからないままで、道端の小さい祠にも、涙を流すというような感覚が日本人にはあります。

日本人にとっては、神道と仏教はそう簡単に分けられないものです。 
              
仏教が伝来した飛鳥時代からずっと神仏習合の文化だったからです。

どちらか選択しろといわれても、片方を選択できる人はほとんどいません。

やむをえず「無宗教だ」と答えます。それだけどちらも深く根付いています。

これだけ宗教が自然に根付いている国は、珍しいと思います。

また、神道と仏教は、きちんと棲み分けがあって、生まれてからすぐの間は神道の儀礼が続き、お宮参り・七五三・成人式・結婚式もある時期までは中心でした。

死んでからは仏教という流れの中でそれなりの秩序があります。

キリスト教徒なら毎週教会に行ったり、イスラム教徒は一日五回お祈りしたりします。

日本人はそういうことはしないけれども、むしろわざわざ儀式をする必要がないぐらい、根付いているといえます。

人々はなぜ宗教を求めるのでしょうか?

結局は心の安寧を求めているのです。

宗教を考えることは、よく死ぬことだと思います。

どう死ぬかという予習なのです。

よく生きることができれば、心穏やかに死を迎えられるのではないでしょうか。

死の予習をすることが、よりよく生きることにつながる。それが宗教を考える意味であると思います。

墓じまいについて

墓じまいとは

最近、墓じまいという言葉を耳にする方も多いのではないでしょうか。

墓じまいとは、現在あるお墓からご遺骨を取り出して、墓石を撤去して更地に戻し、寺院や霊園の管理者に敷地を返すことをいいます。
 

墓じまいが増えている理由

最近、墓じまいをする方や墓じまいを検討する方が増えています。これはライフスタイルの変化による影響が大きく関係していると考えられます。

●少子高齢化や核家族化に伴い、お墓を承継できる後継者がいない
●お墓が遠い、足腰に不安があるなどの理由で、お墓参りができない
●後継者はいるが、お墓の管理などの負担をかけたくない
 

墓じまいの流れ

墓じまいをするには、様々な手続きや作業をする必要があり、時間や労力そして費用もかかります。

1.意思決定

親族、関係者の同意を得て、寺院や霊園の管理者に墓じまいすることを伝えます。

2.行政手続き

墓じまいのあと、取り出したご遺骨を永代供養墓などに移す場合は、改葬許可の申請手続きが必要になります。

3.墓じまい

お墓から一度魂を抜いて閉眼供養を行った後、ご遺骨を取り出します。その後、お墓の解体工事を行い、石材を撤去した後、敷地を更地に戻します。そして、永代使用権を墓地管理者に返納します。

4.取り出したご遺骨の供養

取り出したご遺骨は新しい安置場所に移す必要があります。

ご遺骨の新しい安置場所について

墓じまいをして、取り出したご遺骨は新しい安置場所に移す必要があります。墓じまいをする方の理由にもよりますが、後継者がいない、もしくは後継者に負担をかけたくないという主な理由を考慮すると、年間維持費など将来にわたる費用がかからず、管理の必要もない方法を選ぶとよいでしょう。

・永代供養墓

寺院や霊園が永代にわたって管理、供養するお墓のことをいいます。最初から合祀する場合と、期限を定めて個別の骨壷のまま収蔵し、後で合祀する場合があります。合祀(ごうし)とは、血縁のありなしに関わらず複数の方のご遺骨をまとめて埋葬法する方法です。個別の墓石はありませんが、供養墓はあるため、供養する方がいる間はお墓参りをすることもできます。

・散骨

ご遺骨を粉末状にした後に、海や山や空などにそのまま撒く葬送方法です。自然に還りたい方や、想い出の土地に眠りたいという方にはおすすめです。ただし、墓標の代わりになるものはないため、供養する方がいる間でも、一般的なお墓参りをするという感覚は得難いかもしれません。

・樹木葬

霊園の敷地や自然の山や木、草花の下に遺骨を埋葬する方法です。散骨と同様に、自然に還りたい方や、思い出の土地に眠りたいという方にはおすすめです。墓標の代わりなる木や草花があるため、供養する方がいる間はお墓参りをすることもできます。

・手元供養する

手元供養が可能な間は、手元供養をしてもよいでしょう。しかし、供養する人がいなくなった時のことを考えて準備しておく必要があります。